親父と娘〜心臓移植を越えて乾杯へ〜

同じ心臓病の娘と親父。娘の移植を乗り越え乾杯を目指す。娘を守るかっこいい親父でありたい。

いつになれば

 

移植待機655日目です。

次女は今日も巡り合わせを待ちます。

 

少しずつ術後の不安定だった状態は良くなってきています。

熱は下がり、機嫌もかなり良いです。

しかし経口での水分摂取量がなかなか増えず、睡眠もまだ少し浅いようでちょくちょく泣いて起きます。

完全復活まではあと少しかな!

 

 

ニュース記事を1つ紹介します。

次女と同じ病気を患い、日本での心臓移植を目指して3年4ヶ月にわたって闘いましたが、残念ながら移植を受けられることなく亡くなられた男の子がいました。

お母さんの言葉が深く刺さります。

 

https://www.sankei.com/article/20221219-NF2UWKDZ3RMU7OLUSVESIROFKM/

 

悲しいし、こんなに頑張った子が救われないことに怒りすら覚えてしまいます。

 

記事にも書かれていますが、今この男の子を越えて長く移植を待っている子もいます。

体調を崩しながら、明日の保証がない中で毎日闘っています。

 

 

移植医療に対してはいろんな意見があります。

”人の死を願っているのか”

”人から臓器をもらわなきゃ生きられないなら、それが寿命だと思ってあきらめるべき”

”家族が心臓を差し出せばいいのでは”

発信をしていると否定的な言葉を受け取ることも多いです。

 

ガン治療などと違い、当事者になる人が少ないうえ、臓器を与えてもらうという特殊さがどうしても賛否両論を生んでしまうのかもしれません。

 

しかし否定的な言葉に含まれている内容は、正直に言えば当事者にとっては言われなくとも何度も頭をよぎり、考えたことです。考え続けていることです。

移植を望むことが人として正しいのか、自信をもって正しいと言えることなどありません。

移植に対する否定に近い気持ちは、当事者だって心の中にはあります。ずっと悩み続けています。

 

でもそれらを差し置いても、家族を助けたいし生きてほしいという気持ちが1番だから、移植を望むんです。

 

これを自己中心的だと言われるなら否定はしません。

ただ、単純なことではないです。

 

 

それでも移植医療は、海外では当たり前に行われている医療です。

一体いつになれば、どれだけの子供が億単位のお金を集めて渡航したら、どれだけの子供が移植できずに亡くなったら、日本の移植医療は変わるのか。

記事を何度も読んで歯がゆくなります。