親父と娘〜心臓移植を越えて乾杯へ〜

同じ心臓病の娘と親父。娘の移植を乗り越え乾杯を目指す。娘を守るかっこいい親父でありたい。

娘が自分を知るとき

 

今回、オンラインで心臓移植に関わる医師、看護師、患者の方々それぞれの実体験を聞かせていただける機会がありました。

 

ここでの患者とは、実際に心臓移植を受け、現在も元気に生活をされてる移植経験者の方々。

 

移植にたどり着くまでの間に、とてつもない苦労や死の危険と隣り合わせになりながら進まれてきたことが伝わってきました。

 

心臓の病気なので身体的にとても苦しかったと思いますが、それに加えて周りの理解がなかなか得られず社会的に孤立したり不利になるといった精神的な苦しさも大きいようでした。

 

これは移植後の生活でも当てはまること。

心臓に病気があっても、移植をしても、見た目には分からないから理解も得られにくい。

 

 

またそのような状況になる治療を進めてしまった事への医療者側の苦悩も聞くことができました。

 

 

命が助かるならそれだけで十分。

それも確かにそうだけど、それだけでは全てを割り切ることはできないのが「生きていく」ことなのかな。

 

 

移植以外の色んなことに言えますが、本人や近い人(家族や医療者)だけが考えるべきことじゃなく、みんなと考えて社会的に理解をしてもらえないと、これは変わらない現実なのかもしれません。

だからと言って自分に何ができるの、とも思ってしまいますが。。

 

 

 

1番印象的だったのが、ある男性の移植経験者が語ってくださったこと。

 

赤ちゃんの頃に心臓移植を受けたが、自分自身はその事実を知らないままで生活していて、5歳ごろのときに友達との違いを自覚した。

友達が自分のように薬を飲んだり病院へよく行ってるわけじゃないことを初めて知り、みんなは違うの?と驚いた。

そして親から移植の事実を伝えられ、急に周りのみんなに感謝をするようにと言われたが、なかなか受け入れられなかった。

自分は長生きできないんだろうなと思っていた。

 

 

生々しい話でした。

その方はその後の人生を自分で切り開かれていかれたようでしたが、この話を聞いて考えてしまうのは次女のこと。

 

次女が自分のことを知るべき時がいつかくる。

そんなに遠い話じゃない。

次女は自分をどう思うのか。

親はどう声をかけるか。

 

 

悩ましいけど、

何があっても親の私たちは君の全てを受け入れる。それだけは忘れずに伝えていきたい。

 

 

次女が二十歳になったとき、全てをのんびり語らいながら乾杯できてる未来でありますように。

 

 

今回、貴重な機会をくださった方々に感謝しています。