親父と娘〜心臓移植を越えて乾杯へ〜

同じ心臓病の娘と親父。娘の移植を乗り越え乾杯を目指す。娘を守るかっこいい親父でありたい。

あの日から今まで①(2月2日)

 

「何も起こらないよう尽くしますが、確実な命の保証はできません」

「心臓移植が必要になる可能性があります」

 

耳に焼きついている言葉。

2021年2月2日に、人生で初めて言われた言葉。

 

 

いま次女は病院にいて、私の目の前でおしゃぶりを吸ったりおもちゃを掴んだりと、元気に過ごしている。

 

 

次女は2021年1月に生まれた。

 

出産した病院から妻と次女を家に連れて帰る日、長女に「今日保育園から帰ってきたら、ママと妹がいるぞ!」と言って送り出し、予定の時間にドキドキしながら車で病院へ向かった。

出産日にもわずかに次女とは会っていた(コロナのため立ち会いや長時間の面会は不可)が、改めて見る次女はまるで人形のように小さく、親バカだが長女そっくりで世界トップレベルの可愛さだった。

帰宅した2歳の長女も、初めて見る妹を「ちいさーい、かわい〜」と言いながら撫でてくれていた。

 

そしてこれからは家族4人のおだやかな日々…

とはいかず、新生児のいる生活はやっぱり日々ドタバタ!!

オムツ替え、抱っこ、3時間ごとの授乳やミルク、久しぶりの沐浴、長女の嫉妬…など、実に刺激的な毎日だったー。

でも夫婦で育休を取らせてもらっていたこともあり、なんとか娘2人の面倒を見ながら過ごせた。

 

しかし今思えばそれぐらいのドタバタなら、ずっと続いても良かった。

 

 

2021年2月1日

次女が泣いていた。いつもの泣き顔で。

でも様子が違った。顔はいつもの泣き顔だが、声が小さく、かすれていた。

風邪引いちゃったか?と心配しつつも、母乳やミルクもゆっくりだが飲んでるし、あったかくしておけば大丈夫だろう、程度に考えていた。

 

 

2021年2月2日

また泣き声が小さい。

そしてミルクを飲まない。というより、次女本人は飲もうとしているのにすぐに苦しくなって止まっている?

妻が次女の呼吸の仕方に違和感を感じ、服を脱がせてみる。すると、本来この時期の赤ちゃんは腹式呼吸の動きをするはずだが次女はお腹よりも胸が大きくベコベコと動き、苦しそうな呼吸をしていた。

インターネットで調べるとこれはあまり良くない状態のようだった。

 

不安になり、近所にある長女のかかりつけ病院へ連れて行った。

すると詳しい説明はされなかったが、医師からすぐに出産した病院へ連れて行くように言われた。

了承すると、医師が慌ただしく出産病院へ電話をしている声が聞こえた。すぐに向かう旨を伝えてくれたのだろう。

 

車で出産した病院へ向かい、到着すると待機していた医療チームがすぐに妻と次女を誘導してくれた。私と長女は付いていけないという事なので、車で待つことにした。

かなりの時間待ったように感じたが、妻からLINEが。「心不全をおこしているそう。もっと大きい病院に救急車で移動するって」

 

ショックだった。

心不全」という言葉は聞いたことぐらいはあったが、次女が?

 

その後救急車が到着し、私と長女も呼ばれて妻とともに搬送について説明を受けた。

同乗するらしい医師が「危険な状態です。搬送中に何も起こらないよう尽くしますが、確実な命の保証はできません」と言った。

恐怖を感じた。

しかしその事を了承した上で搬送する、という同意書にサインをした。

 

搬送直前の次女に再会できた。

服は破れて少し血が付き、体はたくさんの管や点滴に繋がっていた。本人は薬で眠っていた。

処置してくれた医師曰く「苦しかっただろうが、いま応急処置をしたので楽になったはず。あとは次の病院で」

楽になったとは言え、次女の姿を見ると涙が我慢できなかった。

長女も静かに妹を見守っていた。

今思えば長女が直接次女と会えたのは、現在に至るまでの間これが最後だった。

 

そして次女が救急車に運び込まれ、出発していくのを3人で見送った。コロナのため家族の同乗は許可されなかった。

 

その後、私たち3人は自家用車で次の病院へ移動した。移動中に3人でどんな会話をしたのかは思い出せない。

 

着いた病院は、小児関係では県内最大の病院だった。

次女は先に着いてICUで処置を受けているようだが、私たちはコロナのため中へは入れず、外で説明を受けた。

そこで医師から言われたのが

「心筋症の疑いがあります。内科的治療を始めますが、効果がない場合には心臓移植が必要になる可能性があります」

その場では意外なほど冷静にやりとりしていたが、頭の中は心筋症?心臓移植??と混乱していた。きっと妻も同じだったと思う。

 

しかしその日は次女に会えないまま帰宅するように言われ、数日かけて次女にコロナの検査や内科的治療への反応を確認し、面会できる見当がついたら連絡をくれるとの事だった。

 

あまりにも激動の1日で、どう受け止めたら良いのか分からず、帰宅後は3人でくっついて過ごした。

 

一生忘れることのない2月2日だった。