親父と娘〜心臓移植を越えて乾杯へ〜

同じ心臓病の娘と親父。娘の移植を乗り越え乾杯を目指す。娘を守るかっこいい親父でありたい。

あの日から今まで②(2月)

 

次女が入院した2月2日から2日後、病院から面会についての電話がきた。

 

後で考えればたった2日だったが、この待っている時間は地獄のようだった。

何があったか完全には理解できていない長女の明るさがなければ、一体どうなっていたか。

 

2月5日から面会ができることになった。

コロナ対策のため、面会できるのは親1人のみ、1日あたり4時間まで。

兄弟は面会不可との事なので、長女は次女と直接会うことはできない。

 

そのため5日以降、私と妻で交代しながら毎日面会しに行った。

車で片道1時間以上かかる距離だが、気にしていられなかった。

長女も土日は連れて行き、面会しない方の親が病院外に連れ出して遊ばせながら待った。

 

初めの数日間、PICUにいる次女は薬で眠っているままだった。

眠っている次女に話しかけたり、手を握るぐらいしかできなかったが、会えることが何よりも嬉しかった。

 

その後、少し状態が安定してきた次女は目を開けてくれるようになった。

小さな手のひらに指をつけると、ギュッと握ってくれる。

いろんな管が繋がっているので抱っこはできない。今はこれが精一杯。

 

 

そして医師からの話によると、次女が患った病気はやはり心筋症でおそらく間違いないと。

 

正確には、「左室心筋緻密化障害」および「拡張型心筋症」。

どちらも全く聞いたことがなく、説明を聞いてもよく分からなかった。

あとでネット検索で調べまくったところ、以下のような心臓の病気だと分かった。

 

※あくまで専門的知識のない素人が複数の情報からまとめたものです。

 

「左室心筋緻密化障害」

→胎児の頃に緻密化して硬い心筋になるはずの部分が、何らかの原因で硬くならずに柔らかいスポンジ状で残ってしまう。最近わかった病気で、原因など詳しい事は未だ不明と言われている。

ちなみにこの緻密化障害自体は命に関わるものではなく、無症状で気づかないまま生涯を終えることもある。

しかしこれは次に書く心筋症を引き起こすことがあり、この場合は一気に危険な難病となる。

 

「拡張型心筋症」

→心筋が十分にはたらかず、血液を送り出す機能が低下する(心不全)。しかし心臓はそれでも何とか血液を送ろうとして頑張ってしまい、左室が拡張する。拡張することで負荷がかかり、より機能が低下する、という悪循環に陥り、最終的に自力で心臓を動かすことができなくなる。

原因は遺伝性、ウイルス性など様々な説があり、特定できてはいない。

指定難病の1つで、心臓移植の対象となる病気の中で最も割合が高い。

 

調べても調べても、悪いことしか書かれていなかった。

「5年生存率76%」「小さな子供ほど予後は悪い」

 

とにかく、手術をすれば治るという病気でないことは分かった。

涙は毎日出た。

 

 

しかし、医師からは投薬で状態が良くなれば、家に帰れる可能性もあると言われた。

それを聞いて安堵した。

医師はわずかな可能性のつもりで言ったのだろうが、私たちはその言葉にすがるしかなかった。

次女は思ったより早く目を覚ましたし、目でこちらを追ったり、手を握ったりもできる。

この病気だからと言って100%心臓移植になるわけではない。

ならいつか帰れるだろう。

そう信じて、毎日会いに行った。

この生活にも少し慣れてきていた。

長女は次女に会えないが、写真や動画を見せると心配そうに見つめたり、笑ったりしていた。

 

 

しかし、数週間しても次女の状態は変わらなかった。

悪くはなっていなかったが、良くもならず、横ばいの状態が続いた。

 

医師からは、このままの治療では効果が見られないため、補助人工心臓というものを装着するのをすすめられた。

補助人工心臓はその名のとおり、本人の心臓の補助・代理を担ってくれる装置。

 

ただし、補助人工心臓を着けるためにはいくつかの大きなハードルがあった。

 

・補助人工心臓は、心臓移植の待機者にならなければ着けられない。

・日本国内に30数台しかなく、空きがなければ着けられない。遠方にしか空きがない場合はそちらへ引っ越すことになる。

・24時間稼働するため装着後は入院になるが、常に近くに親がいる必要があり、親1人による24時間の付き添い入院となる。そしてドナーが現れる日まで付き添いが続く。

 

 

夫婦で考える時間をもらうしかなかった。

仕事のこと、長女のこと、そして何より心臓移植を目指すのかということ。

人生で味わったことのない不安と葛藤。

移植とは、誰かの心臓を次女がもらうということ。

 

世の中に移植という治療があることはもちろん知っていた。しかしそれは自分の身近にあるものではなく、どこか遠くで行われているもの、ドラマや映画で見かけるぐらいのもの、という感覚だった。

包み隠さず書けば、免許証の裏にある臓器提供の意思表示だって、書いたことなどなかった。

自分に甘いし適当に生きてきた人間だった。

こんなので望んで良いのだろうか。

 

しかも国内での小児心臓移植の実施数は極めて少なく、募金などで億単位のお金を集めて渡米するケースもあった。

そもそも移植に対して倫理に反するという批判も多いと聞く。

 

しかし、移植しなければ次女は死ぬ。

 

まだ数えるほどしか抱っこもされてないし、家族4人一緒に過ごせた時間は2週間しかない。

これで人生が終わる?

そんなことある?

 

 

夫婦で悩み続けた。

 

 

そんなとき、医師から告げられた。

1台、補助人工心臓の空きがある病院が見つかったと。

しかも家から車で通える範囲の病院だった。

人生で初めて奇跡を感じた。

 

次女が起こした奇跡を信じて、やるしかないと思った。

 

すぐに夫婦それぞれの職場に相談し、育休を延長させてもらった。

また、今後も治療費がかかるため、高額療養費制度の仕組みや国の難病助成などを調べて、とにかく申請した(これらの制度にはめちゃくちゃ助けられた)。

 

 

2月末ごろ、補助人工心臓が空いている病院の医師とのオンライン面会を行った。

しかしそこで移植のリアルを知った。

 

補助人工心臓は移植待機をしている間に命をつなぐものだが、決して万能ではないこと。

コロナによって現時点では渡米は目指せないこと。

移植とは命のバトンであること。

移植後も、免疫抑制剤などを生涯飲み続けること。

そして移植後にどれだけ生きられるかは分からないこと(全体としては10年後の生存率90%以上だが、子供については事例が少なく統計データなし)。

 

親として覚悟ができたなら、転院を決めましょうと言われた。

 

重かった。

しかし他に道はないと思った。

 

 

妻と意思を確認し、病院へ伝えた。

3月1日の転院が決まった。